息子(通信制の高校生/要移動支援)の話です。
しばらく登校が無いので、ある平日の昼間に、電車に乗って博物館に一緒に出掛けた。
ホームで好きな電車の撮影を楽しんだあとは、颯爽と博物館へ。
入り口で、体温チェック。何度か経験済みなので、自分からささっと応じた。上出来。
中に入って受付で手帳を提示し、展示室に入った。最初のパネルを観終わらないうちに、
展示室内にいる職員さんが私に近づいてきて息子を指しながら
“マスク少し上げてもらえますか?”
マスクが鼻のいちばん高い所からほんの少しだけ下がっていた!私は慌ててマスクを上げてあげた。が、今までの博物館経験をフルに生かして完璧に身を処すつもりでいた本人からしたら、思ってもない所で思ってもないダメ出しをされてしまったことですごく動揺してしまった。瞬間、入り口近くの壁沿いにあるコンクリートの出っ張り(ちょうど座るにはよい高さ)に座ってうずくまってしまった。観覧者は周りに全くいなかったし、展示物からは離れているし、通り道ではなかった、と私も感覚的に判断をした。だからそこで暫く様子を見ようと思った瞬間、同じ職員さんから
“ここに座らないで下さい”
もう本人はそこにも居られずパニック状態になってしまった。私もかける言葉が見当たらず、“(誘って)ごめん、ごめん、もう出よ”を繰り返した。そのうち本人が“トイレ”といった。
あぁそうだった。
本人が居場所がなく落ち着きたい時の最終手段はトイレだった。さあ行こう、と顔をあげたら、離れた所で職員さん警備員さんが集まってこっちを見ていた。血の気が引いたが平常心のふりをして急いでトイレに誘導。
待っている間、じっとガラスの向こうの景色を眺めながら起こった出来事を振り返った。
マスクで言及された事はしょうがない。でも何か身が縮こまる思い。何なんだろう。
どうしても起きてしまう不意の出来事。仕方のない事である。でも息子が座り込んでうずくまっている時、しんどそうなのは明らかだった。だから先ず“大丈夫ですか?”の気持ちがほしかった。
“ここに座らないで”と言われた時点で、困っていた息子は
“困った人”として扱われたのだと、後になって強く思った。
随分時間がたった頃、一人の高齢の警備員さんがこちらに近づいてきて、静かに私に“大丈夫ですか?”と聞いてきた。
“あ、すみません。慣れない人から急に話しかけられるとびっくりしてパニックになるので…ここでしばらくいさせてもらって落ち着いたら帰ります”と答えた。
“そうですか…落ち着くまでゆっくり休んでってください。すみませんでした。”
“いえ、ありがとうございます”
ここで初めて血の通うやりとりができた。
一人だけでも、息子が困っていたのだと分かってもらえて良かった。
シマウマ
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